§日本の戦後賠償敗戦国となった日本は、6年間の米国を始めとする連合国の占領期間を経た後、1951年(昭和26年)に、連合国55ヶ国中、48カ国と講和を結び、サンフランシスコ平和条約を締結しました。 多くの有賠償権国は請求権を放棄しましたが、日本はこの条約とは別に個別の国々と二国間協定を結び、戦争で日本が与えた損害に対して準賠償を行なう約束をして、戦後賠償問題は決着しました。 日本は、このサンフランシスコ平和条約を順守し、各国との協定によって定められた賠償・準賠償を、最終的に1977年4月、完全に終了しました。 ▼よってセイロンは日本に賠償を求めない
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。 往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。 私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」 「よってセイロンは日本に賠償を求めない」
サンフランシスコ対日講和会議(1951年9月)
セイロン(現スリランカ)代表ジャヤワルダナ蔵相 ※この他、日本への賠償請求権を自発的に放棄した国に、インド、ラオス、カンボジアがある。 ▼独立のお祝いというつもりで賠償を - インドネシア -
(当時の岸首相に対して)
インドネシア賠償交渉担当 アルジ・カルタウィナタ国会議長
※独立当事のインドネシアは、経済的にも窮し国民が貧困に喘いでいた事と、「独立できたのは、日本軍が軍隊(PETA)を作ってくれ、敗戦後も独立運動に参加してオランダ軍と戦ってくれたからだ。」という好意的な対日感情が背景にあった。 独立戦争に参加した2,000人の日本軍のうち、1,000人が戦死した。 今でも、インドネシアの独立記念日には、インドネシア人の男女2人と日本軍の格好をした1人を加えて3人で国旗を掲揚するという。 ▼賠償権を放棄した国々に対して準賠償を実施
日本も、賠償権を放棄したアジアの国々に対して、決して甘えていた訳では有りません。 その他の国々についても、1954年にビルマと賠償協定を結び、1956年にはフィリピン、1958年にインドネシア、1959年にベトナムと協定を締結。 さらに大戦後に独立したマレーシア、シンガポールについても1967年に協定を結び、それぞれ30億円相当を無償供与している。 マレーシアとの協定の中には、「マレーシア政府は、両国間に存在する良好な関係に影響を及ぼす第二次世界大戦の間の不幸な事件から生ずるすべての問題がここに完全かつ最終的に解決されたことに同意する」という一文も付与されている。 ▼韓国に対する賠償問題1965年6月に結ばれた基本条約の付属協定「請求権・経済協力協定」で、日本側が韓国側に対して、無償・有償5億ドルの経済支援を行うとする一方で、請求権問題は、「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。 植民地支配(*注)に起因する個人補償請求についても、韓国外務省は、経済企画院の問い合わせに答える形で、「(韓国)政府は個人請求権保有者に補償義務を負うことになる」と明言している。(日韓国交正常化交渉に関する64年5月11日付の外交文書) 韓国の個人補償請求に関しては、もし日本がそれに応じれば、日本国民も韓国政府に対して併合時代の補償請求が出来る事になり、韓国がこうむった被害とは比較にならないほど多額の補償請求が可能となる。 *注. 朝鮮の場合、実際は植民地ではなく併合。 日本の一部となったが、朝鮮民族を認める証として朝鮮皇室が置かれ、それまで貧困層の言語として蔑まされていたハングル文字を正式な朝鮮語として普及させた。 韓国人が「日帝により植民地にされた」と発言するのは、歴史を歪曲した義務教育課程において被害者意識を植えつけられた結果。 ▼英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる【2001-11-27】日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている日韓併合条約 (一九一〇年)について合法だったか不法だったかの問題をめぐり、このほど米ハーバード 大で開かれた国際学術会議で第三者の英国の学者などから合法論が強く出され、国際 舞台で不法論を確定させようとした韓国側のもくろみは失敗に終わったという。 会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らから出され「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と述べた。 また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたか ら不法という議論は第一次世界大戦(一九一四-一八年)以降のもので当時としては問題 になるものではない」と主張した。 この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で十六-十七日開かれたが、韓 国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し韓国の学者の主導で準備された。 これま でハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米のほか英独の学者も加えいわば 結論を出す総合学術会議だった。
日本からは海野福寿・明大教授や笹川紀勝・国際基督教大教授、原田環・広島女子大 教授ら五人が参加したが、海野教授の「不当だが合法」論や笹川教授の不法論など見解 が分かれた。
しかし日本の原田教授は併合条約に先立ち日本が外交権を掌握し韓国を保護国にした 日韓保護条約(一九〇五年)について、皇帝(国王)の日記など韓国側資料の「日省録」や 「承政院日記」などを分析し、高宗皇帝は条約に賛成し批判的だった大臣たちの意見を却 下していた事実を紹介し注目された。 日韓併合条約については韓国や北朝鮮からはいまなお執ように不法論が出され謝罪 や補償要求の根拠になってきた。日韓国交正常化の際も激しく対立したが、合法・不法の 結論は出さず「今や無効」との表現で国交正常化(一九六五年)にこぎつけた経緯がある。- 産経新聞 - ▼日本が実施した戦後賠償(単位は億円)
※国立国会図書館外交防衛課作成の資料(借款は除外) |
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