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§インドネシアのスマトラ沖地震 11日目

2005-01-05 23:10

▼タイで犠牲者追悼式 1万人参列

タイの犠牲者を追悼する式典が5日、プーケット中心部の競技場であり約1万人が参列した。  イスラム教、キリスト教の指導者による礼拝に続き、仏教僧約1200人も読経。その後、参加者が一斉にろうそくに点火し、この日のために作られたタイ語曲「泣かないで」を合唱。灯ろう形の気球が夜空に揚げられた。
 一方、欧州連合(EU)加盟各国では5日正午、市民らが犠牲者に黙とうをささげた。2000人近い犠牲者・行方不明者を出したスウェーデンのストックホルムではほとんどの市民が立ち止まった。商店主(46)は「私たちにできることは祈ることだけだ」と話した。 - 毎日新聞 -

2005-01-05 20:43

▼津波で行方不明のスウェーデン人少年に誘拐説

スマトラ沖地震による津波で壊滅的被害を受けたタイ南部で、行方不明となっているスウェーデン人少年クリスチャン・ウォーカー君(12)の誘拐説が一部報道で広がり、タイ警察当局が捜査に乗り出した。  当局は5日、津波後の混乱の中で少年を連れ去ったとされる西洋人とみられる男のモンタージュ写真を作成した。
 一方、少年の祖父で米国人のダン・ウォーカーさんは、誘拐を裏付ける確かな証拠はないとコメントするとともに、一部の新聞が状況を誤って伝えている可能性を指摘した。ダンさんはクリスチャン君を捜すためタイ入りしている。  クリスチャン君の誘拐説は米タブロイド紙で大きく扱われており、フロリダ州在住で元海兵隊員のダンさんはテレビ局の取材攻勢を受けている。  ダンさんは、他に大勢の行方不明者がいるなかでメディアの注目を浴びることには違和感があるとしながらも、クリスチャン君発見につながるなら構わないとも語った。
 クリスチャン君は津波発生当時、カオラックのホテルに母親や兄、妹とともに滞在中だった。兄と妹は助かり、既にスウェーデンに帰国したが、惨事を経験した精神的ショックで当時のことを語れる状態ではないという。 - ロイター -

2005-01-05 19:38

▼津波の食糧援助、大半の被災者に届かず=世界食糧計画

スマトラ沖地震による津波発生から10日が経過したが、被災者200万人のうちこれまでに食糧援助を受けたのはわずか4分の1にとどまっている。  世界食糧計画(WFP)の関係者が5日、記者会見で明らかにした。  WFPは遠隔地への食糧輸送に、ヘリコプターやホバークラフトを投入している。関係者は、被害状況が複雑なため、従来とは異なる対応が必要との認識を示した。
 WFPの食糧支援は、たんぱく質強化ビスケットや米、豆類、魚の缶詰で行われている。これまでにインド洋沿岸諸国の被災者46万4000人に対し、食糧が分配された。  しかし、スリランカのモンスーンや、インドネシア・アチェ州への交通に限度あることが、支援活動の足かせとなっている。  被災者全員に食糧支援が実施されるまで、どのくらいかかるかは分からないという。 - ロイター -

2005-01-05 19:01

▼経済的損失は月275億円=ピピ島観光、日帰りに限定も-タイ南部

タイ観光公社(TAT)が5日までにまとめたところによると、スマトラ沖地震による津波で、プーケットなど同国南部の主要観光地の経済的損失は月間100億バーツ(約275億円)に上る見通しだ。
 TATによると、津波で被災した南部6県の観光客は年間平均約930万人で、うち外国人は500万人。特に被害が大きかったプーケット、クラビ、パンガーの3県の年間観光収入は、全国総額(約4000億バーツ=約1兆1000億円)の3分の1を占める。今年はタイ全体で1350万人の外国人観光客が見込まれていたが、下方修正は避けられないという。
 一方、タイ観光・スポーツ省によると、3県で破壊されたホテル客室は1万2000室以上、被害額は約120億バーツ(約330億円)に上る。同省は、壊滅的打撃を受けた各リゾートを将来の災害に備えて再設計する方針で、これまで宿泊可能だったクラビ県にあるピピ島は、日帰り観光に限定する予定だ。 - 時事通信 -

2005-01-05 15:01

▼スマトラ沖地震の津波による死者5265人に=タイ南部

タイ内務省の5日の発表によると、スマトラ沖地震に伴う津波による同国南部6県の人的被害状況は同日午前8時(日本時間同10時)現在、死者5265人(うち外国人2510人)、行方不明者3720人(同940人)に上っている。 - 時事通信 -

2005-01-05 14:59

▼インド洋津波で漂流の男性を8日ぶりに救助

インド洋津波で根こそぎ抜けた木につかまって8日間インド洋上を漂流していたインドネシアの男性が3日夜、通りかかったコンテナ船に救助された。マレーシア当局者が5日明らかにした。 救助されたのは、被害が甚大だったインドネシア・アチェ州出身の23歳の男性で、雨水と近くに浮かんでいたココナツの実で命をつないでいた。  男性は脚に切り傷を負っていたが、健康状態は驚くほど良好で、コンテナ船に乗ってマレーシア西部の港に到着した。
 男性を救助したマレーシアのコンテナ船の船員は、「彼を見たとき非常に驚いた。彼は、木のように見えるものの上に立ってわれわれに手を振った」と語った。 津波が村を襲ったとき、男性はモスクを掃除していたという。 - ロイター -

2005-01-05 12:15

▼在留邦人未確認は528人に 外務省発表

外務省は5日、家族から照会のあった日本人旅行者で528人、在留邦人では8人の所在が依然として未確認と発表した。  所在が確認されていない旅行者のうち、家族の説明で被災地にいた可能性がはっきりしているのは236人で、内訳はタイ169人、スリランカ47人、モルディブ20人となっている。在留邦人では、タイ・プーケット周辺の6人、マレーシア・ペナン周辺の2人と連絡が取れていない。 - 毎日新聞 -

2005-01-05 12:00

▼中越地震でボランティア=死亡した横浜市の樋浦さん

スマトラ沖地震による津波で被災したスリランカ南部のゴールで死亡が確認された横浜市職員で市立こども植物園勤務の樋浦達夫さん(57)=横浜市栄区=。同植物園の椎名美喜夫園長は5日、「穏やかで仕事もきちんとこなす人だった。残念でならない」と声を落とした。
 樋浦さんは植物園に勤務する前には、市で福祉関係の仕事に携わり、障害児との触れ合いキャンプなどを担当していた。
 新潟県小千谷市出身の樋浦さんは、昨年10月に発生した新潟県中越地震の際には、故郷に駆け付け、5日ほど現地でボランティア活動をしたという。 - 時事通信 -

2005-01-05 10:26

▼津波の悲劇、人間愛/南部リゾート・プーケットから

スマトラ沖地震による大津波に襲われたタイ南部のリゾート地・プーケット。荒廃したパトンビーチ、緊張が走るプーケットタウンの医療現場、被災者がごった返す災害対策センター。津波発生翌日の27日から現地に入り、悲劇に見舞われた“楽園”を歩き回った。【宮内努記者】
 満席のタイ国際航空(THAI)は1時間半遅れでプーケット国際空港に到着した。日本人の客室乗務員2人に被災地の状況を聞いたが、「よく分からない」と顔を曇らせるばかり。タイ人乗務員も「バンコクとプーケットを往復しただけで空港外に出ていないので説明できない」と目を伏せた。
 空港には大型輸送機C-130が待機、2機の空軍ヘリコプターも上空を旋回していたが、空港施設は正常に機能しているようだ。顔や足にけがをしたり、車いすに乗っている欧米人観光客が目の前を通り過ぎていくと被災地に来たことを実感する。空港で、パンガー県の新興リゾート・カオラックから脱出してきたバンコク在住の渡辺奈緒美さんに話を聞いた。「ラプロードホテル近くのビーチで海水浴をしていたら、異変を察知した監視員からホテルに避難するよう指示された」。津波は一時、2階まで浸水し、「水位が下がった後、道路に出て助けを求めたところを軍用車のようなトラックに救助され、プーケット空港にたどり着いた」と安どの表情を見せた。
 空港案内所に状況を尋ねると、治安当局は“火事場泥棒”を警戒し、高級ホテルが立ち並ぶパトンビーチを含む大部分の西海岸地区を封鎖したという。ほかの空港関係者は、津波にさらわれた犠牲者の遺体が多数ビーチに打ち上げられたことが封鎖の理由とこっそり耳打ちした。
 この封鎖措置により、プーケットタウンの宿泊施設はどこも満室になった。ようやく1室を確保し、パトンビーチの取材のため、運転手に「行けるところまで行くように」と頼んだが拒まれた。 そこで、負傷者が運ばれたワチラ病院へ。病院の玄関には仮受付所があり、ボランティアの学生が外国人患者らを案内していた。入院患者のリストに日本人女性の名前があった。彼女の病棟に向かう途中、病室や廊下では医師や看護婦が負傷者の治療に当たり、ピリピリした雰囲気が漂う。欧米人負傷者にカメラを向けると、「写真を撮るな」と怒鳴られた。30代と思われる日本人女性は重傷でべッドに横たわっていた。そして無言で取材を拒否した。
 数百メートル先にあるバンコク・プーケット病院では、日本人11人が治療を受けていた。このうちの一人、東京都内の大学職員、柳沢裕之さん(46)はパトンビーチ沿いのバーンタイ・ホテルに宿泊、ホテル前の海岸で日光浴を楽しんでいた時に異変に気付いたという。「異常な勢いで潮が引いた後、沖から茶色の低い波が向かってくるのが見えた」。危険を察知し、ホテルに戻ろうとしたところ、津波に襲われた。波に巻き込まれたビーチシートなどでアキレス腱を切った。「欧米人の夫婦が手際よく傷の手当てをしてくれ、ホテルの従業員が病院まで運んでくれた」と感謝の思いを語った。
 ■2日目
 28日朝。被災者支援センターが設置されたプーケット県庁を訪ねた。敷地内では各国が受付所を設け、被災者の帰国手続きや行方不明者の情報収集に当たっていた。国内外から届いた支援物資が積み上げられ、携帯電話会社は通話サービスを、食品加工会社は食事を無料で提供している。
 THAIは特別機をバンコクまで運航し、400人を無料で空輸すると発表、受け付けに被災者が殺到した。庁舎内には遺体の写真が張られ、中には身元確認が不可能と思われる写真も。家族や愛する人を探しに来た人々は目を覆っていた。2階は被災者に情報を提供する緊急対策センターになっており、各国の大使館関係者が机を並べて対応に追われている。在タイ日本大使館の小野崎忠士さんは「きのうは50人が訪れ、3分の2はパスポートなどを携帯していなかった」と話す。午後はパトンビーチに向かった。案の定渋滞だ。やっとたどり着くと、壊れたホテルや店鋪に従業員らが集まり、使える備品の整理作業などをしている。大被害を受けたのは主に海岸沿いのパトンビーチ通りとラットゥティット通り間にある商業地区。ビアバーなどが連なるサワディーラック通りを海岸に向けて歩くと、路上には自家用車が重なり合い、店舗から放り出された備品などが散乱していた。ビアバーの従業員は「経営者が行方不明よ。従業員の半数は怖くなってプーケットを脱出したわ。この状態ではいつ店を再開できるか分からない」と途方に暮れた様子だ。
 カタ・ダイビング・サービスのインストラクター、増子均さんは津波発生時、プーケット島沖約90キロにあるシミラン諸島で船上にいた。「青い海が泥色になり、渦巻きが発生していたため沖に逃げた」と一瞬の判断から惨事を免れたことを振り返る。無線による警報などはなかったという。 パトンの海岸には、根こそぎ倒された木々、船の残骸などが横たわっていた。海は穏やかで日光浴をする欧米人の姿もちらほら見られる。沖に停泊していた自船が浜に打ち上げられたというタイ人のトンさんは、「こんなに大破したらもう航海できない」と苦笑いで洗濯物を甲板に干す。
 ビーチ沿いの歓楽街では、従業員やボランティアが清掃作業を行う傍ら、警備員が「火事場泥棒がいる」と目を光らせている。米ホテルチェーン「ホリデーイン」前には12人の窃盗犯を収容した護送車が止まり、通行人の見世物に。百貨店では地下フロアが冠水し、多くの観光客や従業員が溺死しているのが発見された。バンコクから救助活動に駆け付けた慈善団体・義徳堂のレックさんによると、ファストフード店などが入居するオーシャン・プラザでは約100人が死亡したもよう。シーパール・ビーチ・ホテルの地下街もプール状態。買い物客ら19人が遺体で発見された。
 ■3日目
 29日朝。日本大使館の領事部臨時相談所が設置された日本人会事務所に向かう。早朝のためか、数人のマスコミ関係者がいるのみ。大使館関係者は、27日に14人、28日に206人の被災者が訪れ、パスポートの再発行や現金の貸し付けを行ったと説明する。緊急対策本部では、タイ人女性が行方不明の夫を捜していた。「ピーピー島で波にさらわれた」。写真を片手に訴える彼女の目から、大粒の涙がほおを伝ってこぼれた。イタリアからは救助部隊が到着し、ヘリコプターで被災現場へと離陸する。本格的な捜索・復旧作業が始まったようだ。
 バンコクに戻るため、空港行きの交通手段を探していると、初老夫婦に肩をたたかれた。おいのピックアップトラックを用意したという。トラックの荷台に腰を下ろして話を聞く。農業を営む夫婦は「大惨事を目の辺りにして自分達のできる限りのことをしたい」と話してくれた。
 ドンムアン空港(バンコク国際空港)の到着口では思いがけない歓迎に出くわした。20数カ国の大使館関係者やボランティアが自国の名を書いた紙を頭の上に差し出し、支援を申し出ている。同胞の姿を見掛けては笑顔で対応する人々。肉体的・精神的ショックに苦しむ被災者にとって、どれだけ心強いだろうか――。
 アピラック都知事も駆け付け、外国人観光客に必需品などを尋ね回っている。ドイツ人のイバット夫妻はカオラックのバンガローから脱出後、親切な地元民の助けでバンコクまでたどり着いた。「パスポート、現金すべて失った」と説明し、ドイツ行きの飛行機に搭乗できるよう都知事に救いを求めた。
 大学で外国語を専攻する学生、年末年始休暇中の一般市民。多くのボランティアも被災者に手を差し伸べた。アランヤーさんもその一人。前日、多くの日本人観光客がバンコクに到着したと姉から聞いて駆け付けた。周りを見回し、「どうして日本大使館の人は見当たらないの?」。アランヤーさんに尋ねられ、思わず言葉を詰まらせてしまった - NNA -

2005-01-05 00:20

▼勝田咲江さんの死亡も確認 邦人23人目

スリランカ南部・ゴールで遺体で見つかった日本人男性は4日、横浜市職員、樋浦達夫さん(57)と確認された。さらに、スリランカのヤラ国立公園でのツアーに参加していた中田八重子さん(67)と、勝田咲江さん(69)の死亡も確認され、邦人の犠牲者は、タイで13人、スリランカ10人の計23人になった。 - 毎日新聞 -

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