チェンマイ 地図
2004年: 12月26日 12月27日 12月28日 12月29日 12月30日 12月31日
2005年: 1月1日 1月2日 1月3日 1月4日 1月5日 1月6日 1月7日 1月8日 1月9日~ 1月26日~ 3月26日~

§インドネシアのスマトラ沖地震 1月9日(発生から2週間)~

2005-01-20 21:24

▼被災者キャンプの孤児たちが恐怖を絵で再現

巨大な青い波と海の中に横たわる人。屋根の上で助けを求める子どもの姿……。インド洋大津波で大きな被害を受けたパンガ県バンムアンの被災者キャンプの一角に、津波で両親や家族を失った孤児たちの絵がいくつも張り出されていた。
 家族を失った子どもに絵を教えているのは、タイ人女性のチャチャダ・クルアゲオさん(47)。何でも好きなものを描くよう指示したところ、約40人の子どものうち7割以上が津波を描き始めた。「予想していなかったので正直言って驚いた」という。
 父親を失った少女ベンシャワンさん(14)は、ビルや船が津波にのみ込まれる様子を手提げ袋に描いた。「津波は大きらい。でも、お父さんのことを忘れないように描いた」と、チャチャダさんに話したという。
 キャンプには、津波で壊滅した漁村バンナムケムの住民約3400人が避難生活を送る。うち300人は両親のいずれかを失った。両親と妹の家族全員を失ったジャムルアン君(10)もその1人。現在は助かった叔母とテントで暮らしている。
 タイ人ボランティアのアヌラック・プーヌーさん(43)たちが何度も通い、学校から帰るとテントの中にじっと座り続けるジャムルアン君を、ようやく1度だけ仮設の孤児院に連れ出した。「まだ言葉を交わすまでいかないが、何とか心を開かせてあげないと……」。アヌラックさんはそれまで、キャンプにとどまるつもりだ。 - 毎日新聞 -

2005-01-20 10:24

▼タイ南部パンガー県で犠牲者追悼式典

インド洋大津波で、深刻な被害を受けたタイ南部パンガー県で19日夕、同国内で最大規模の犠牲者追悼式典が行われた。会場のタクアパ・スタジアムには、正装の白衣姿の住民らが約2万本のろうそくに火を灯し、紙の灯ろうを空に飛ばして犠牲者の冥福を祈った。
 式典では、津波で死者・不明者を出した日本など40カ国以上の国旗が掲げられ、北欧諸国の政府関係者らも出席。タイのソムサック副首相が、被災者支援と災害克服のために団結を訴えた。 - 毎日新聞 -

2005-01-19 22:06

▼東京の女性死亡確認 日本人犠牲者は25人

スマトラ沖大地震による津波で、スリランカでのツアーに参加して行方が分からなくなっていた東京都世田谷区の会社員、斉藤由紀子さん(42)の死亡が19日、確認された。これで津波による邦人の犠牲者は25人となった。 - 毎日新聞 -

2005-01-18 17:27

▼真珠の夢砕けた タイの養殖業者

インド洋大津波で砕かれた桟橋のたもとに、無数の真珠貝が砂にまみれて散らばっていた。「真珠の最初の収穫を待つばかりだったのに……」。カオラックから北に約80キロ。クラブリの漁港沖の通称「ニッポン島」で、飯田勝実さん(56)がため息をついた。島は40年前、三重県の業者が養殖を手がけた場所。「真珠復活」の夢は、目前で崩れ去った。
 干からびた母貝を開くと、核に付き始めた真珠層が現れた。度重なる失敗を乗り越え、3万個の母貝の本格的な核入れに踏み切ったのは昨年6月。今年末には見事な真珠を手にできるはずだった。だが養殖用いかだは波に奪われ、貝をつるワイヤも引きちぎられて海のもくずと消えた。
 幸い桟橋の補修をしていたタイ人従業員5人は、津波襲来を知った飯田さんからの携帯電話連絡で高台に逃れ、無事だった。
 18年前、タイに渡った飯田さんは、買い付けた真珠を宝飾店に卸す仕事をしながらプーケット島に定住した。偶然、日本の養殖専門家と出会い、「いずれは自分の手で品質にこだわった真珠を」と考え始めた。真珠販売店「アイヤラー(象の意)パール」の経営を軌道に乗せた00年、養殖に乗り出すことにした。
 現地でニッポン島の話を知り、蓄えた資金で旧養殖場のあった場所を借り受けた。南北約5キロ、東西約500メートルの小さな島だ。
 専門書と首っ引きでいかだを組み上げ、さまざまな母貝を試した。妻のクチャラポンさん(36)との二人三脚で、つぎ込んだ資金は1000万バーツ(約3500万円)に上った。
 また借金をしてでも養殖場の再建に踏み切るべきかどうか、決心はつかない。プーケットを訪れる観光客が激減し、本業の真珠販売も先行きが不透明なためだ。「商売一筋で来た人生で、初めて手がけた夢。何とか実現したい」。飯田さんは、観光地の復活を待ち望んでいる。 - 毎日新聞 -

2005-01-18 13:24

▼黒板だけが残った…スリランカの中学校、裏に20の墓

屋根も壁もない建物跡に、大きな黒板だけが立っていた。インド洋津波の被災地、スリランカ東部の街カルムナイ。中学校だったという。
 教師が書き残したのか、黒板には白いチョークで「12月26日。みんな津波で亡くなった」。
 生徒1500人の学校だった。津波が来た時は休日の課外授業中。60人が机に向かっていたが、45人が波にのまれて死亡した。
 跡地に立っていたアジール君(13)は、姉(16)を失った。「勉強したいけれど、ここでは嫌。たくさんの人が死んだから」。学校の裏に、盛り土に白布の付いた棒を立てただけの墓が、20も並んでいた。 - 読売新聞 -

2005-01-18 10:31

▼ミャンマー人数千人が死亡、NGO調査

17日付ネーションによると、インド洋大津波の被害を受けたタイ南部パンガー県で2,500人以上のミャンマー人が死亡したもようだ。タイ北西部ターク県を拠点にするミャンマー人労働者の非政府組織(NGO)が16日、明らかにした。
死亡者の数はミャンマー人の出稼ぎ労働者、タイ人の雇用者などの聞き取り調査から割り出した。死亡したと推測される労働者を含め行方不明者は4,000人に上る。
一方、タイ西部カンチャナブリ県に拠点を置くNGOによると、パンガー県ではミャンマー人労働者5,000~7,000人が行方不明で、2,500~3,000人が死亡したと推測される。
タイには12万人以上のミャンマー人が出稼ぎに来ており、漁業、海産物加工、農業、建設作業などに従事している。大津波によるミャンマー人の被害実態は、同国軍事政権が外国からの援助を拒否していることもあり把握されていない。 - NNA -

2005-01-17 10:34

▼「父と弟の分まで頑張る」 杉本遼平君が登校

タイ南部のピピ島に滞在中にスマトラ沖地震の津波にのまれた一家4人のうち、無事だった愛知県岡崎市の小学6年杉本遼平君(12)が17日、帰国後初めて同市立岡崎小に登校した。
 岡崎小によると、遼平君は同日朝の全校集会で、「皆さんに心配をお掛けしてすみませんでした。お父さんと弟の分まで頑張ります」とあいさつ。クラスでは同級生から千羽鶴と励ましの手紙を受け取り、笑顔も見せたという。
 遼平君は父親の放射線技師孝幸さん(41)らと家族旅行でピピ島を訪れていた。孝幸さんと弟の知槻君(8つ)は遺体で見つかり、母親の正美さん(41)は行方不明のまま。遼平君は親族とともに7日に帰国していた。 - 共同通信 -

2005-01-17 10:08

▼阪神大震災と津波を経験 タイの女性

インド洋大津波の被災地、タイ南部クラビ近郊にあるアオナン。ここに阪神大震災を経験した女性が生活している。「まさか、こんな大災害にもう一度遭うなんて」。女性は、大災害を経験した両国の理解が深まることを望んでいる。
 女性は、昨年夏からタイ人の夫コーウィット・アングチュアンさん(37)と暮らすちほさん(31)。自宅は被災を免れたが、散歩や買い物によく行っていたアオナンビーチに津波が押し寄せ、ホテルなどが被害を受け、砂浜はがれきの山となった。対岸のピピ島にいたコーウィットさんのいとこ(40)が犠牲となった。
 ちほさんは、神戸市の甲南大2年生だった10年前、1人暮らしをしていた同市灘区のマンション3階で阪神大震災に遭遇した。倒れてきたタンスから逃れ、何とか外に出ると、学生たちの下宿先となっていた近くの木造家屋は軒並みつぶれていた。その後、道路沿いに点々と供えられていた花々を、忘れることはできない。
 一昨年、ちほさんは研究職として5年間勤めた会社を辞め、タイを訪れた。人々の笑顔と、日本では望めないシンプルな生活にひかれた。今、クラビで日本語教師になるための研修を受けている。知り合った女子学生(21)に神戸のことを話すと「大きな地震があったところ」と記憶していてくれた。タイ語にない「TSUNAMI」の意味を誰もが知りたがった。
 自らの震災体験を伝えることで「タイの人たちが、いい意味で日本への理解を深めてくれたら」と思う。津波被害から立ち上がろうとするタイの人々が、より身近に感じられるようになった。 - 毎日新聞 -

2005-01-16 22:51

▼被災3週間、復興程遠く タイ・ナムケム村

陸に乗り上げた漁船、つぶれた車両――。日本の国際緊急援助隊が最初の活動地としたナムケム村は16日、インド洋大津波の被災から3週間を過ぎても復興には程遠い状態だ。南隣の高級リゾート地カオラックでは、ショベルカーなど重機が多数入り、ほとんどのがれきが片付けられているのと好対照。大多数がキャンプで避難生活を送る漁村の住民らは「村を見捨てないでほしい。早く家に帰りたい」と訴えた。
 観光バスの運転手、ナロンさん(28)は連日、無事だった母、妹と避難民キャンプで寝起きし、実家の掃除や家財捜しをする。部屋は泥をかぶって住めない状態だ。ナロンさんは「タクシン首相は3月末までの復興を表明した。補償金で家を修理しなければ、何も出来ない」と、首相公約に淡い望みをつなぐ。
 漁師のウィラさん(37)は妻と娘、船3隻と家を失った。当時、自身は村を流れる川で仕事中。夢中で船を上流に走らせたという。「私は家族を助けられなかった」と今も悔やむ。
 ナムケム村の人口は数千人と言われるが、多くの人が漁港近くのバラックに暮らしていた。家屋は跡形もなく流され、村内には今も、港や川岸から数十メートルも離れた地点に乗り上げた漁船が放置される。重機は数えるほどで片付け作業は遅々として進まない。  海軍の艦船がロープを使って漁船を元に戻すと聞きつけ、ウィラさんは毎日、自分の船を捜しているが、見つからない。「小さな船だったから粉々になったのかも」と肩を落とす。「これでは仕事ができない。軍は船を探すのを手伝ってほしい。村を見捨てないでほしい」。そう訴えた。
 村は依然、電気・水道が復旧しておらず、村民はキャンプを離れることが出来ない。 - 毎日新聞 -

2005-01-16 22:17

▼3週間ぶりに父親と再会 7歳男児、津波で放浪

16日の英スカイニューズ・テレビ(電子版)によると、インドネシア・バンダアチェでスマトラ沖地震による津波に流されて両親とはぐれた後、1人で海辺を放浪していた男児(7つ)を同テレビの取材クルーが見つけ、病院に収容した。この男児は3週間ぶりに父親や祖父と再会した。
 男児はマルトゥニスちゃんで、脱水や栄養不良の症状があるが、命に別条はないという。母親と2人の兄弟姉妹は行方不明のまま。
 取材陣が海岸で漁業の被害を取材中、蚊に刺され、やせ細った男児を発見。同テレビによると、たまり水や乾めんで命をつないできたとみられる。病院の患者がマルトゥニスちゃんの顔を知っていたため、家族と連絡が取れ、父親らとの再会にこぎ着けたという。 - 共同通信 -

2005-01-16 20:48

▼タイ出稼ぎのミャンマー人2500人、津波の犠牲か

AFP通信は16日、タイで働くミャンマー人出稼ぎ労働者の支援団体関係者の話として、インドネシア・スマトラ島沖の地震・津波で、タイ南部パンガー県で働く少なくとも2500人のミャンマー人が犠牲になったと報じた。
 聞き取り調査などに基づく結果で、別の人権団体によると、死者数は3000人、行方不明者は5000―7000人にのぼる可能性もあるという。
 タイでは、不法労働者も含め、10万人以上のミャンマー人が働いており、多くは漁業などに携わっている。ミャンマー軍事政権は、同国内での津波の犠牲者について59人と発表しているが、国外からの支援を拒否しており、ミャンマー関連の被害の実態は把握されていない。 - 読売新聞 -

2005-01-16 09:06

▼アチェで破傷風患者67人 国境なき医師団警告

国際的な緊急医療援助団体「国境なき医師団」は15日、スマトラ沖地震被災地のインドネシア・スマトラ島北部アチェ州で、破傷風患者が州都バンダアチェの45人をはじめ計67人に上り、さらに急速に増加する見通しだと明らかにした。潜伏期間は2日から60日といわれ、症状が現れはじめた段階。死亡率が25%と高いため、医師団は注意を呼び掛けている。  同団体のウェブサイトで明らかにした。
 津波で手足などを負傷した住民が、行方不明の家族や家財道具などを泥まみれのがれきの中で捜して歩き、傷口から感染するケースが多いという。
 医師団はバンダアチェで、住民に対し宣伝カーで破傷風への注意と予防対策を呼び掛け、500足の長靴と1500の手袋を配給。 - 共同通信 -

2005-01-15 03:03

▼2年間不明で死亡認定 検事判断で タイ

インド洋大津波の被害を受け、タイ検察当局は13~14日、プーケット市内のホテルで会議を開き、タイ人行方不明者の死亡宣告手続きについて「2年間を待って本人の所在が確認できない場合、検事の判断で死亡認定する」ことなどを決定した。一方、外国人については「政権の判断に委ねる」との見解を示した。 - 毎日新聞 -

2005-01-14 18:51

▼津波襲う直前から海に異変 プーケットで観光客撮影

タイ・プーケット島を訪れた日本人観光客が、スマトラ沖地震による津波の来襲直前に海が濁り、海水が渦巻く様子をビデオ撮影した。14日に映像を確認した専門家は「これより前に引き波が始まっていたことが分かる」と話している。
 ビデオはプーケット島南端にある展望台から望む島西岸のナイハンビーチが撮影されている。
 地震から約2時間経過した現地時間の昨年12月26日午前9時52分、陸に近い一角で、既にエメラルドグリーンの海面が茶色く混濁。南側の小島沿いに水が渦巻くように沖合に向かい、次第に勢いを増す様子がとらえられている。
 展望台からの映像は午前10時4分まで。混濁した領域は広がっているが、海底が露出するほどまでは潮は引いていない。その10分後には、約3キロ離れたカタノイビーチに移ったが、映像では既に津波が襲った後だった。 - 共同通信 -

2005-01-14 11:43

▼津波キャンセルのホテルを臨時小学校

インド洋大津波で大きな被害を受けたプーケット西岸のカマラビーチで、高級リゾートホテルが相次ぐキャンセルで空いた客室やプールを臨時教室として、地元カマラ小学校(約350人)の子どもたちに開放している。
 ホテル「カマラベイ・ガーデンリゾート」は海岸から奥まった所にあり冠水被害を免れた。カマラ小は1階の教室と食堂が波に襲われ、補修作業が続いている。
 「プールで泳ぐのは初めて。気持ちいいね」。6年生のタワット君(12)はTシャツ姿のままプールに飛び込んではしゃいだ。担任のジャトポン・ファンジュン先生(25)は「津波の後、海が怖いとおびえていた子もプールでは生き生きしている」と目を細める。臨時教室では、心理的ショックを和らげようと、ボランティアが子どもたちに自画像を描かせていた。 - 毎日新聞 -

2005-01-13 22:34

▼アチェで遺体の身元確認断念、死者7万8千人続々埋葬

インドネシア・スマトラ島沖の地震と津波で最大の被災地となった同国ナングロアチェ・ダルサラム州で、同国政府が身元不明遺体の特定を断念した。
 タイ政府が行っているようなDNA採取や歯型などの記録は取らず、遺体袋のまま大規模な埋葬を進めている。混乱状況の中、遺体の確認をあきらめた多くの遺族は二重の悲しみに包まれている。
 政府発表によると、同州の死者は約7万8000人。すでに埋葬された遺体は約7万に上り、「多くは身元不明」(政府関係者)とされる。遺体は州都バンダアチェの空き地や河川敷など11か所に設けた大規模な埋葬地に埋められている。
 家族らの申告に基づき集計した行方不明者数は約13万人を超えており、死者数はまだまだ増える可能性が高い。「国家アチェ災害救援チーム」を指揮するブディ・アトゥマディ・アディプトロ氏は本紙に、「数が膨大な上、腐敗も進んでいる。1体ずつの確認は無理。歯型などを取っていたら10年はかかる」と述べた。
 同市内の埋葬場にはポリ袋に詰められた遺体が海軍のトラックで続々到着。兵士らが直径約10メートル、深さ約5メートルの穴に次々落とした。同様の穴が10以上あり、埋葬された遺体はここだけで数千から1万に上る。
 津波の当日から遺体収容作業を続けているスラマン・ビンバニー伍長(31)は「もう何も感じなくなった」と無表情で語り、別の兵士は「毎日12時間続けているが、いつまで続くか見当もつかない」と言った。
 一方、市内の避難所で夫と子供2人と暮らすヒルミア・バラウィさん(27)は、「両親と兄弟3人の家が村ごと流された。どこかに埋葬されていることを祈るだけ」とうつむいた。 - 読売新聞 -

2005-01-13 19:16

▼タイ・クラビの遺体安置所、国際鑑識チームの鑑定終了

インド洋津波の被害を受けたタイ南部クラビの遺体安置所で、日本など7か国の鑑識チームが進めていた遺体の鑑定作業が13日、終了した。
 安置所には、ピピ島などで犠牲になった外国人観光客ら約300人の身元不明遺体が冷凍保存されている。国際鑑識チームはこれらの遺体について、<1>レントゲン写真の撮影と遺体の特徴の記録<2>DNA鑑定のための抜歯――などの作業を行ってきた。
 今後、手術痕や装身具など遺体の特徴はデータベース化され、身元を照会する際に役立てる。
 国際鑑識チームは、日本、スイス、イタリア、ポルトガル、カナダ、イスラエル、チリで構成。日本チームは警視庁鑑識課や警察庁科学警察研究所などから派遣された約10人が今月5日から活動してきた。
 チームの連絡調整にあたった国際協力機構の佐々木十一郎さん(44)は「猛暑とにおいで体力的には限界に近い」と話した。
 鑑定作業は、最も被害の大きかったカオラック地区でも他国チームが行っているが、2000体以上の身元不明遺体があり、まだ相当な時間がかかりそうだという。 - 読売新聞 -

2005-01-12 18:47

▼タイで遭難濃厚20人近く 邦人家族が鑑定依頼

スマトラ沖地震の津波による犠牲者の身元確認のため、外務省からタイ南部に派遣された東京歯科大の橋本正次助教授(51)が12日、プーケットで記者会見し、同地域で遭難した可能性が高いとして家族が鑑定を依頼している日本人が20人近くいることを明らかにした。
 連絡が取れない日本人の安否確認が続く中、犠牲になった恐れがある邦人数が示されたのは初めて。橋本助教授は、この地域の遺体とデータの照合作業に、なお1カ月以上かかる可能性があるとの見通しを示している。
 同助教授は12月31日に派遣されて以来、ピピ島で死亡した草津美佐紀さん(35)ら日本人犠牲者5人を鑑定。さらに20人近くについて、着衣や歯の治療痕などの身体データが家族から外務省を通じて寄せられている。現時点では、身元確認につながる有力情報はないという。 - 共同通信 -

2005-01-12 17:56

▼2250人全員の所在確認 スマトラ沖地震の在留邦人

スマトラ沖地震で外務省は12日、被災地域の在留邦人約2250人全員の所在が確認できたと明らかにした。既に公表された死亡者3人のほか、少数のけが人がいたが、大半の在留邦人は無事だった。
 同省によると、タイのプーケット島周辺で約420人、スリランカ東部2人、マレーシアのペナン周辺約1650人、モルディブ約180人、インドのアンダマン・ニコバル諸島の2人の計約2250人の所在を確認したという。
 死亡者は在タイ日本大使館一等書記官吉野貞行さん(41)と長男魁人君(8つ)、バンコク日本人学校教諭の妻草津美佐紀さん(35)の3人。
 外務省海外邦人安全課は「在外公館に在留届を出している人の調査が中心。届け出がない人の安否は把握できていない部分もある」としている。 - 共同通信 -

2005-01-12 12:49

▼津波被災地に鑑識36年の技、警視庁OBが活躍

インド洋津波で被災したタイの遺体安置所で、鑑識一筋36年の経歴を持つ警視庁OBが、日本の鑑識チームの一員として活躍している。タイ国家警察の士官学校で教べんを執る戸島国雄さん(64)だ。
 警視庁時代に培った独特な指紋採取による遺体の身元判別法を、他国の鑑識チームも取り入れるなど、その高い技術力で貢献している。
 戸島さんは、警視庁鑑識課を定年退職後の2002年4月に、国際協力機構(JICA)のシニアボランティアとして、以前出向したことのあるタイ国家警察に赴任した。現在は科学捜査部鑑識班に配属され、バンコクの士官学校教官として鑑識捜査の指導にあたっている。
 津波発生直後、生徒20人とともにカオラックの安置所に派遣されて身元不明遺体の確認に携わり、8日からは日本鑑識チームに合流した。
 主な役割は指紋採取。腐敗が進んで膨張した遺体は指先が大きく変形し、そのままでは指紋採取は困難だ。戸島さんは、遺体から指の皮を丁寧に削り取って自分の指にかぶせ、印鑑のようにインクを付けて紙に押し当てる方法で、確実に採取を進めている。警視庁時代、水死体の身元確認などに使っていた手法だ。
 現地でともに活動しているカナダやオランダなど欧米の鑑識チームは、戸島さんのアドバイスを受け、同じ方法を取り入れ始めた。タイ警察の教え子たちも、各地の遺体安置所で戸島さんの教えを実践している。
 採取した指紋はデータベース化される。タイでは15歳以上の国民の指紋は登録されており、これと突き合わせることで、身元判別の重要な手掛かりになっている。
 戸島さんは、群馬・御巣鷹山で520人が犠牲となった1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故でも、遺体搬送にあたった。今回、1000体以上の遺体を相手に黙々と作業を続けるうち、「やはり猛暑の中、おびただしい遺体を目の当たりにしたあの時の光景がよみがえってくる」という。
 日航機事故の時は、散乱する遺体を前に、一時はぼうぜんと立ち尽くしたが、「一刻も早く遺族と対面を」という一心で約1か月間、休まず作業にあたった。
 「遺族の嘆き、悲しみはタイ人も日本人も変わらない。御巣鷹の経験も生かし、遺体を残らず遺族の元に帰せるよう全力を尽くす」と力を込める。安置所の作業が終わるまで、戸島さんは現地にとどまる決意だ。 - 読売新聞 -

2005-01-11 14:50

▼タイ国王の意向で…元野良犬、津波被災地で活躍

タイ南部の津波の被災地で、かつては野良犬だった3匹の雑種犬が遺体捜索に活躍している。犬好きのプミポン・アドンヤデート国王の意向を受け、犬を訓練しているタイ国軍が今月6日から現場に投入、10日までに10人の遺体を発見した。
 捜索チームを監督する国軍のチャンソーク大尉によると、「なぜ遺体捜索現場に犬がいないのか」という国王の発言がきっかけとなり、訓練中の3匹に急きょ出番が回ってきた。
 国王は、野良犬を引き取って育てているほどの愛犬家。国王の発案で、国軍は2003年に野良犬50匹を犬の収容施設から引き取り、救助犬や遺体捜索犬として訓練してきた。
 今回投入された「マコック」「マックルワ」「ブアダン」は、その中でも、においをかぎ分ける能力が特に高いと認められた犬で、約50人の兵士とともに出動。初日の6日に早くも3遺体を発見した。
 9日には被害の大きいカオラック近郊のコーカオ島に、続く10日には日本人も犠牲になったピピ島に投入され、各地で遺体発見に貢献しており、当初は9日までだった派遣期間が14日までに延長された。チャンソーク大尉は「3匹は国軍の誇り」と話している。 - 読売新聞 -

2005-01-10 22:23

▼悲しみの中の出発…スリランカ各地で学校始業式

スマトラ沖地震の津波で被害が出たため、1週間延期したスリランカの学校の始業式が10日、各地で行われた。  しかし、被災地では子供の犠牲者も多く出ており、悲しみの中の出発となった。
 停車中の列車が津波にのみ込まれ、1000人以上の死者を数えた同国南西部テルワッタ地区。現場付近の学校は校舎2階の高さに波が押し寄せて全壊した。650人の児童・生徒のうち、近所の自宅などにいた50人が死亡した。
 バンドラ校長(55)は「列車に避難して亡くなった子供も多い。現在も行方不明の子供がいる。子供に罪は無く、本当に残念でならない」と肩を落とした。学校周辺の住宅も全半壊しており、住民は5キロ離れた避難所で暮らしており、学校が再開できる見込みもない。
 隣接する同国南西部コスゴダ地区では、2メートル以上の波に襲われ、職員会議で早く学校に来ていた54歳の校長が犠牲となり、校庭で遺体が見つかった。児童・生徒は津波の残がいを片づけて校長に黙とうをささげた。
 住民の半数が漁民という同国南西部ベルワラ地区の集落の学校では、父親を失った女子生徒(13)を全校集会で励ました。女子生徒は「父は船を見に行って巻き込まれてしまった」と泣き崩れた。
 スリランカでは169校で校舎が全半壊。児童・生徒8万人が学校に行けない状態となっている。学校関係者は「児童・生徒は悲しみを乗り越えようとしている。今後、学校では津波のことを子供に教えたい」と話している。 - 読売新聞 -

2005-01-10 21:47

▼日本の医療チーム、活動終えタイに設備など引き渡し

タイ南部で医療活動を行ってきた日本の国際緊急援助隊医療チームが活動を終え、活動拠点のバンムアンで10日、仮設テントと医療器具を無償でタイ側に引き渡した。
 先月30日にタイ入りした医療チームは、医師や看護師ら32人で構成、バンムアンなど3か所の避難所周辺にテントを設営し、被災者の診療に取り組んできた。
 けが人のほか、精神的ショックを受けた被災者のケアも行い、11日間で約600人を診察。日田春光団長(53)は「現地で医療活動を続けるための土台作りができた。物資の提供など、引き続き支援活動に取り組みたい」と話していた。 - 読売新聞 -

2005-01-10 03:01

▼<スリランカ>大津波で流された直後出産、「ツナミ」と命名

インド洋大津波が多くの人々をのみ込んだ日、産声を上げた女の子がいる。スリランカ北東部のトリンコマリー県。ノナシダヤさん(35)は先月26日、海岸に近い入院先の病院から約200メートル流されたものの助けられ、産湯もないまま出産した。奇跡的に授かったその子を両親は「TSUNAMI」(ツナミ)と名付けた。母親の入院先は全壊し、他の妊婦ら約30人が死亡。両親は「特別に授かった命だと感じる。みんなに、この地で起きた悲しい出来事を忘れてほしくない」と話している。
 ◇命の大切さ忘れぬよう
 英語教師のファリードさん(40)、ノナシダヤさん(35)夫妻に生まれた第4子で、初めての女の子。母親は海岸線から約120メートルの病院に入院しており、26日午前9時ごろ、陣痛を和らげようと病棟の外を歩いていた。そこへ、いきなり大津波が襲った。建物や樹木など、どこにもつかまることが出来ず、約200メートル流されながら「このまま死ぬ」と観念したという。津波が引いた路上に倒れていたところを若い男性に助けられ、近くの学校へ運ばれた。
 そのわずか5分後に出産。偶然いた看護師が手伝ったが産湯もなく、へその緒を切っただけだった。大きな産声を上げた女児に、母親は「動転して、キスすらしてあげられなかった」と振り返る。
 一方、病院から約400メートル離れた自宅も腰の高さまで浸水した。父親は、自宅周辺で5歳と2歳のおいを含む15人の遺体を収容した。「病院は全滅」という話を聞き、「妻も死んだに違いない」と思ったが、同日午後6時ごろ、思いがけず妻の生存を聞いた。出産の事実を知って二重に驚いたという。
 今は、家族6人で父親の実母宅に避難中。ツナミちゃんは当初、母乳を吐き出し、「海水のせいか」と心配させたが、健康に育っている。母親の腕の中でよく眠り、目を開けた時は母親をじっと見つめる。栄養不足など心配は尽きないが、「この子が生まれたこと以上の幸せがあるでしょうか」。母親はツナミちゃんをギュッと抱きしめた。 - 毎日新聞 -

2005-01-09 00:27

▼<日タイ外相会談>無償資金を辞退「より被害大きい国に」と

町村信孝外相は8日、タイ南部プーケットを視察後、バンコクでスラキアット外相と会談した。スラキアット外相は、日本が緊急支援としてタイに供与を予定していた約20億円の無償資金について「より被害が大きい国に回してほしい」と辞退する考えを表明した。日本政府は、予定額をインドネシア、スリランカ、モルディブなどへの支援に回す方針。
 また、スラキアット外相は、プーケット周辺で被災したとみられる日本人らの身元確認が難航していることについて「今後はDNA鑑定が必要となる。身元に関する情報のデータベースを構築しようとしているので、日本の家族らからもできるだけ多くの情報を送ってほしい」と要請した。 - 毎日新聞 -

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